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半島に湧き上る銃後の赤誠
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画像をクリックするとやや大きい画像が見れます。
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この絵葉書は朝鮮総督府が発行したもので、1937年(昭和12年)に勃発した支那事変(日中戦争)の出征兵士に対し、慰問袋などを用意している写真が使われています。
外袋は封筒になっていて、裏に手紙を書いて送れるようになっています。(切手は六銭)右は絵葉書に貼ってある乃木希典大将の二銭切手。 |
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慰問袋を作る朝鮮半島の女性たち
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祈武(運長久?)
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封筒の表側
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封筒の裏側
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当時の状況について「日韓共鳴二千年史」(名越二荒之助著)から
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明治43年(1910)の韓国併合以来、京城(現ソウル)に本拠を置いた日本の朝鮮総督府は朝鮮の福利厚生のために様々な政策を実施しましたが、なかなか朝鮮の人々は心を開いてくれませんでした。大正8年(1919)には、朝鮮全土で反日独立闘争が起り(三・一独立運動)、中国から「難治の民」と呼ばれた朝鮮を統治することの困難さを日本は改めて思い知らされることになったのです。
ところが、昭和12年(1937)7月7日の蘆溝橋事件に端を発した支那事変において日本軍が中国軍を打ち破り、連戦連勝するようになると、朝鮮民衆の対日感情はにわかに好転しはじめたのです。二千年前の漢時代から朝鮮を圧迫・支配してきた中国の軍隊をいとも簡単に打ち破る日本軍の強さに朝鮮人は驚き、そして、その驚きが尊敬に、尊敬は熱烈な愛国(日本への協力)へと変わっていったのです。
目に見える劇的な変化は、出征軍人の歓送迎でした。支那事変勃発後、7月12日から多くの兵士が入営出征を見たのですが、初めのうちはその友人知人が日本人、朝鮮人一緒になってこれを送別するという様子でしたが、北支へ出動する日本軍の部隊が続々と朝鮮半島を縦断して北上するに及び、見ず知らずの人々も町内、村内または一地方挙げて駅まで出て来て、これを送迎するようになったのです。誰誘うとはなしに、駅という駅は国旗の波と万歳の声で溢れるようになりました。
もともと個人的には親切な人が多い朝鮮民族ですから、駅での心のこもった湯茶接待、慰問品の受け渡しばかりでなく、出征兵士との間に涙と笑いの交歓が続きました。特に京城駅には、昭和12年9月中だけでも実に43万余人、1日平均1万4300人余りが詰め掛け、日本の兵士たちをいたく感動させたといいます。 |
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